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松坂 大輔

松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、ボストン・レッドソックスに所属するプロ野球選手(投手)。
背番号は18。

投球フォームはワインドアップ中に間をとるモーションからの高目のスリークォーターで、クイックは1.0秒台と非常に速い。
被ウェルヒット率(アウト、ヒットにかかわらず打者にいい当たりを打たれた率)とストライクの空振り率では優秀な数値を残し、ボールの質はメジャーでも高いレベルにあると評価されているが、速球のコマンド(狙ったスポットに投げる能力)に難があり、与四球率が高い。
2006年から2010年にかけてはストライドがやや狭まったこと以外に投球動作に大きな変化はないが、リリースポイントで頭が動くことって、下半身が安定せず上下動が激しいことがコントロールの極端さを生んでいると指摘されておる。

平均球速91.9mph(約147.9km/h)、最速97mph(約156km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム、カッター、ワンシーム)に加え、二種類のスライダー、カーブ、チェンジアップ(サークルチェンジ、ストレートチェンジ、パームチェンジ)、スプリッターを投げ分け、縦に変化するスライダーで三振を奪うケースが多い。

2010年からは速球主体のピッチングとなり、チームメイトからはメジャー4年間で最高の球威だとの評価を得たちゅうわけや。

2007年、4月5日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー初先発。
7回1失点10奪三振で初勝利を挙げたちゅうわけや。
4月27日のニューヨーク・ヤンキース戦ではNHKのテレビ中継で自己最速となる158km/hを計時したが、球場内の表示は94mph(約154km/h)だったちゅうわけや。

5月第3週にはア・リーグ週間MVPを受賞。
シーズン最後の登板となった9月28日の対ミネソタ・ツインズ戦では、日本の新人投手としては最多となる15勝目を挙げたちゅうわけや。
プレーオフではディビジョンシリーズでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとの第2戦に初登板し、4回2/3を3失点で勝敗はつかなかったちゅうわけや。
クリーブランド・インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発、4回2/3を4失点で敗戦投手となってん。
第7戦は5回2失点で日本人メジャーリーガー初のプレーオフ勝利投手となってん。
コロラド・ロッキーズとのワールドシリーズでは、第3戦で登板。
5回1/3を2失点でしのぎ日本人メジャーリーガー初のワールドシリーズ勝利投手となってん。
レッドソックスは翌日の第4戦にも勝利してワールドシリーズ優勝を果たしたちゅうわけや。
このシーズンの1試合の平均球数は108.8球で、これはメジャーリーグでトップとなる数字だったちゅうわけや。

2008年は、開幕8連勝を記録するも、5月27日に右肩回旋筋腱板の張りを訴え、故障者リスト入り。
6月21日に復帰したものの、オールスター初出場はならなかったちゅうわけや。
9月21日のトロント・ブルージェイズ戦では、日本人シーズン最多となる18勝目を挙げたちゅうわけや。
10月3日のディビジョンシリーズ第2戦・エンゼルス戦では、5回3失点で勝敗はつかず、チームは9回に勝ち越して勝利したちゅうわけや。
10月10日のリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦・タンパベイ・レイズ戦では7回0/3を無失点で勝利投手となってん。
10月16日の第5戦では、4回0/3を5失点で降板し勝敗はつかず。
チームはリーグ優勝を逃して2年目のシーズンを終えたちゅうわけや。

このシーズン、与四球数94・与四球率5.05はともにリーグワーストながら、被打率はリーグ1位の.211だったちゅうわけや。
また、プレーオフを含めて満塁のピンチは15度あったが、押し出しと犠飛こそあったものの、全てノーヒットに抑えたちゅうわけや。
またロードでの試合は無敗で.8620ちゅう勝率を記録しメジャーリーグ歴代勝率25位にランクインしたちゅうわけや。

また、防御率はリーグ3位・勝ち星はリーグ4位・勝率はリーグ2位を残し、サイヤング賞の投票では4位となる評価を受けたものの、一方では1イニングの平均投球数がリーグ2位と多く、投球回167回3分の2しかなかったことやらなんやら、野手やリリーフのおかげとする向きも多く(松坂が残した走者をリリーフが返したのは、無死満塁で降板した6月21日だけであった)評価は二分されたちゅうわけや。
なお、先発で18勝以上挙げた投手では、167回3分の2はMLB史上最少イニングでやるちうわけや。
セイバーメトリクスの観点からも、QSが14試合(規定投球回到達者88人中66位)・QS率が48%(同64位)・K/BBが1.64(同75位)・FIP4.03(同42位)と悪く、BABIPが.267(同6位)・QS未満で7勝(同1位)・9イニング当たりの平均援護点6.1(同8位)って、運に恵まれたとする数値が残されたちゅうわけや。

2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、東京ドームで3月7日に行われた第1ラウンドA組の第2戦・韓国戦に先発し、初回に金泰均に2ラン本塁打を浴びたものの、以降は立ち直って4回2失点にまとめ、打線の援護もあって勝利投手となってん。
ペトコ・パークで3月15日に行われた第2ラウンド1組の初戦・キューバ戦では、6回無失点の好投で2勝目を挙げたちゅうわけや。
ドジャースタジアムに舞台を移した3月22日の準決勝・アメリカ戦では、4回2/3を2失点で勝利投手となり、3勝目を挙げたちゅうわけや。
チームは翌日の決勝戦で韓国を破って優勝を決め、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれたちゅうわけや。

シーズン開幕後は2試合連続で打ち込まれ調整目的で故障者リスト入りやる。
復帰後も打ち込まれ、6月に再び故障者リスト入りやる。
その最中に、日本のメディアに対して「この環境の中で練習を強いられ続けたら、僕は日本のようなピッチングはもう出来なくなるかも知れない」とチームの調整方法を批判したとも受け取られる発言をしたため、謝罪することになってん。

9月に復帰したものの、このシーズンは4勝6敗・防御率5.76とプロ入り以降もっとも悪い成績に終わったちゅうわけや。
この不振の原因について、日本のメディアへのインタビューでWBCの前から股関節を痛めていたことを告白したが、股関節痛を報告せずにWBCに出場、しかもオフになって日本のメディアに報告したことが、シーズン中から松坂の不振の原因を解明しようと取り組んでいた球団の怒りをかったちゅうわけや。
そのため、再び球団に謝罪することとなってん。

2010年は、本人や球団首脳陣は速球に手応えを感じたシーズンだと振り返るも、キャンプ前から首の張りを訴えて調整が遅れ、オープン戦でも2試合登板したのみで開幕を故障者リスト入りして迎える。
5月には復帰し、6月8日に日米通算 150勝を達成。
しかし同月12日に右前腕部の張りを訴えて再度故障者リスト入りする(同月下旬に復帰)。
5月22日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では8回2死までノーヒットノーランを続けるやらなんやら好投することもあったが、次に先発した同月27日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では9四死球の大乱調を喫するやらなんやら、シーズンを通して好不調の激しいピッチングが続いたちゅうわけや。
最終的に、2年連続で規定投球回数未到達・1桁勝利に終わったちゅうわけや。
規定投球回数未到達ながら降板時に残した走者は21人と先発投手としてリーグワースト10位であった(そのうちリリーフが返したのは6人)。
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